構想学 Kohsoulogy

「日本構想学会を名乗るからには、まずは『構想学』というひとつの学問分野があり、それなりの体系をもつのでしょうな」

きっとそうした問いかけがあることだろう。その問いかけには「ついぞ聞かないけれど」といった言い残しもありそうだ。

 ただ早耳の人には最高学府ともいわれ学術の場である大学において、すでにいくつもの学群とか学部とか学科とか専攻として〇〇構想学を名乗っているところがあり*、である以上そこで研究し、教え、学ぶ人たちがたくさんいて、いたことを知っている。つまり、聞き慣れなくても構想学の存在と生息は否定しようがないのである。

*たとえば、それぞれひとつずつでも例示すれば、宮城大学事業構想学群、早稲田大学文化構想学部、東北芸術工科大学企画構想学科、大阪公立大学文化構想学専攻

 そこでその現実に踏まえて、その名乗りのもとに日々その学に触れ、営んでいる当の研究者、教員、学生に

「では、さて構想学とは?」

と問うたとしよう。その応えの大方を推測すれば、最初の問いかけに戻るのではないだろうか。それを裏付ける事実として早稲田大学文化構想学部の学部長(2024年度現在)柳澤明教授が当の学部の紹介記事で、つぎのような「おもしろいこと」を語られているので引用しよう。

「(‥‥)さて、文化構想学部に関して、一つおもしろいことがあります。学部の英語名称は“School of Culture, Media and Society”で、「文化構想学部」とはまったく違います。特に驚くのは、「構想」に当たる言葉が影も形もないことです! では、どちらがより「正しい」名前なのでしょうか。実は私にもよくわからないのですが、あえて想像すれば、二つの名前は、学部の特徴を異なる角度から表現しているのだろうと思います。“Culture, Media and Society”は、よく見れば、6つの論系が扱う教育・研究分野を、2つの論系を一組にして表していることに気づきます。つまり、現実の文化構想学部の姿を端的に示しているわけです(‥‥)」

 この言表はおそらく個人特有のものというより、およそ構想学という場に居合わせるほとんどの人に共有されている感覚、解釈であろう。そのことは当の同じ場にいたことのあるこの文章の著者の経験からしても十分推察できる。

 ただこの柳澤教授の弁にあきらかなように、そしてそれはこの語りが必ずしも焦点にしたところではないけれども、まさに英語にしてしまうと消えてしまう「構想」のおもしろさこそが、そしてそういう虚のことがらを、それでもあえて自らの学のディシプリンの看板として掲げうるだけの力、魅力を宿した概念がまさに「構想」であり、その「学」なのだということである。

 このことの背景に潜んでいることがらは図らずも英語名称を当たり前のこととして対にしてしまう日本の学術における西欧翻訳学問というくびきと、そこからの超出を考えたときのだいじな手がかりになっているのである。だから、あえていえば構想学というのはすぐれてバナキュラーな価値をもった地域性や国際性に世界観を拡張する豊穣な可能性をもった学問といえるのである。だからここでは構想学をあえて軽やかにKohsoulogyとも称するのである。

 そしてなにより史上稀にみる人口減少社会になっているこの国において、それと反対に学問に従事する人たちの数はおそらく史上最多になっているであろう現在にあって、こうした価値に気づけている意識が寡少なままである今こそ、構想学、そしてそれと類似の意味と価値をもつことがらに正面から向き合う場が求められていると思えるのである。むろんその場のひとつの典型がこの日本構想学会であることはいうまでもない。




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